ガミ通信

大学4回生のガミが日常のあらゆることについて書いていきま~す(o^─^o)

北野武の祝辞を探る〜天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い〜

皆さん、こんにちは(^^)
今回は北野武さんのスピーチについて語り合っていけたらと思っています笑

 

https://img.huffingtonpost.com/asset/5cae9fb3240000b400c8929a.jpeg?cache=x3IMi9JFlu&ops=scalefit_630_noupscale

出典:

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天皇陛下即位30年


平成最後の年。
陛下は即位してから30年を迎えられました。
そこで感謝の意をたたえ、安倍晋三首相やIPS細胞でノーベル賞を受賞された山中伸弥教授ら各界の著名人らが出席し祝辞を述べられました!

そして、ゆずや松任谷由実さんの歌のパフォーマンスも!!
ニュース番組等でお知りかと思いますが、北野武さんのスピーチは見事なものでしたよね😄
この方のスピーチが結構印象に残ったので、紹介したいと思います。

 


北野武の祝辞

 

youtu.be

 

感謝の言葉

お祝いの言葉。


天皇皇后両陛下におかれましては、ご即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします。


最初は感謝の言葉からの始まり。
詳しい話は後でしますね。

 

陛下と初めて立ち会った瞬間

 私は、ちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて日の丸の旗を持ち、大勢の群衆の中にいました。
波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、お二人が乗った馬車が近づいてくるのがわかりました。
母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ、決して上げるんじゃない」。
ボコボコ殴りながら、「バチが当たるぞ」と言いました。

 


彼のお母ちゃんは有名ですよね。
これとは関係はありませんが、僕自身中学校時代の道徳で武さんの母のエピソードを習いました。

言っちゃえば、道徳で習ったことの中で一番印象に残っています笑
この子は何をしでかすか分からない。
恐らく、お母さんはそういう思いだったんでしょう。
最近ニュース番組でよく流れていましたが、
陛下が婚姻されたのは1959年だそうですね…
つ、ま、り、
今年で60年になるわけです!(2019年現在)
武さんはそのパレードを目撃なさってたんですね。
しかし、その時はまだ幼かったはず。
何をしでかすか分からない。
そういう思いでお母さんは頭を抑えてたんだと思います。

 私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。
そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。


ここでは武さんらしい内容になっていますね笑

今となっては笑い話だろうけど。
子どもの頃ならそういったことを平気で信じることができるんですよね。

こち亀の記事でも触れましたが、子どもって人が思うほど純粋なんですよ。
その頃のたけしさんは本当にそうなるんじゃないかと思っていたんじゃないですか🤭

 

そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、お二人が目の前を通り過ぎていくのははっきりと感じることができました。


やはり、この頃から明仁さまの存在は大きなものだったんですね。
そして、民間から初の皇后になられた美智子さまの存在。
 
 
そのお二方を乗せた馬車が国民の目を引きつけていたんですよ。

60年も前になるので、今と比べると若く見えるものですねー

お二人の姿が大変勇ましく見えます。

 

https://archives.bs-asahi.co.jp/koushitsu_12/images/prg_001.jpg

出典:https://archives.bs-asahi.co.jp/koushitsu_12/images/prg_001.jpg

 

気遣われる陛下 


そして、次がたけしさんが天皇・皇后両陛下と対面した際のエピソード。

 

 私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。
なぜか呼ばれた私に、両陛下は
交通事故の体の具合はどうですか。あなたの監督した映画を見ています。どうかお体を気をつけてください。がんばってください。」と声をかけていただきました。
このとき、両陛下が私の映画のことや、体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました。

 

北野武さんは不幸なことに1994年にバイク事故を引き起こしています。
右カーブがうまく曲がりきれなかったんですね…
それはかなり重症なものでした。
ちなみにその第一発見者は当時光GENJIとしてスターであった諸星和己さんだそう!

 

https://image.entertainment-topics.jp/item/image/normal/482687.jpg?time=

出典:https://image.entertainment-topics.jp/item/image/normal/482687.jpg?time=


正直なところすごく驚きです。
陛下のお言葉はその交通事故を受けてのことだったんでしょう。
体のことを気遣われる陛下。
感動したといった気持ちが少しは理解できます。

 

 ただ今考えてみれば、両陛下がごらんになった映画が、不届き者を2人も出したアウトレイジ3」でないことを祈るばかりです。

 

北野節が出ましたね笑
アウトレイジ」は予告編では見たことがあるのですが、確かにあのストーリーを見ている陛下は正直なところ想像できません😅
不届き者とは一体誰のことを言っているかお判りでしょうか。
それは、2019年に入って逮捕されたあ・の2人を示唆しているんだと思いますよ。


北野武さんの作品といえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得した傑作である「HANA-BI」(1997年公開)、穏やかな日常の中に死が迫ってくる「ソナチネ」(1993年公開)等、映画を見ていなくても名前が思い浮かんでくるものです(^ ^)
ご多忙の中、北野武さんの作品を陛下がご覧になっている。
それだけでも、ものすごいことですよね。
確かに数ある作品の中何を見られたかは気になる点であります笑

 

 また、お土産でいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、今やわが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、ひとつ800円で売っております。


お茶会ではいろんな方々がお見えになり、そこで皆さんに配られたのでしょう。

 

http://www.kunaicho.go.jp/data/schedule/228/detail/624/2.jpg

出典:http://www.kunaicho.go.jp/data/schedule/228/detail/624/2.jpg


「コンペイトー」をもらったエピソードは確かどこかで聞いたことがあります。
800円で売っていたなんてって感じです笑
家宝にしては安いなー。

 

 5月からは元号が令和に変わります。
私がかつていたオフィス北野も新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて「オフィス冷遇」にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました。


たけしさんと言えば、事務所独立騒動がありましたよね。
それにも触れるなんてさすがたけしさん。

 

陛下の姿

私は自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下は1月1日の四方拝をはじめ、毎日のように国民のために儀式や祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることを知りました。
私たちは普段の天皇のご様子は報道番組でしか知ることができなかったはずです。


20年以上生きてきて、僕自身も様々な陛下の姿を拝見してきました。
本当にいろんなスケジュールをこなしていたんですよね。
生前退位はそれだからこそだと思うんです。

 

皇后陛下におかれましては「皇室は祈りでありたい」とおっしゃいました。
お言葉の通り、両陛下は私たちのために日々祈り、寄り添ってくださっていました。
私は感激するとともに、今感謝の気持ちでいっぱいです。

 

「皇室は祈りでありたい」
皇室は天皇陛下➕皇族のこと。
言い換えにはなりませんが、皇室は祈りの存在であること。
常に日本の国民について思ふこと。
そんなことできますか?
僕もニュース番組で国民に信によりそう陛下の姿を見てきましたが、あれを真似しようと思うと難しい話です。
だからこそ、たけしさんは感謝しているんですよ。
 
 

平成は平和な時代であった一方、災害が次々日本を襲った時代でもあります。
そのたびにニュースには天皇、皇后両陛下が被災地をご訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。

 


僕は平成時代が終わろうとしている中、一つ思っていることがあります。
それは戦争が起こらなかったこと。
陛下も2018年の12月に行われた記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵(あんど)しています。」

 

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あの戦争は死者をたくさん出してしまいました。
僕は当然ながら生まれていませんので、その事実は書物や経験者の話でしか知る由がありません。
広島県にある原爆ドームを見た時、何とも言えない感情が込み上げてきました。
ここで本当に戦争があったんだなと意識した。
あのような悲惨な出来事があったからこそ、今の日本がある。
それは忘れてはいけないような気がします。
あのような残酷な出来事が起こらなくて本当によかったと思います。
それがなによりなんです。
平和な時代ではあったけれども、災害が絶えない時代でもあった。
それに代表されるのが、1995年に発生した「阪神・淡路大震災」と2011年の「東日本大震災」。
災害によってたくさんの人が被害に遭われました。
確かにニュースでは、災害があるたびに天皇陛下が被災地を訪問されていた様子を目撃した記憶があります。

 

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国民に対して、陛下はこのようにおっしゃっていましたよね。
 

 平成28年8月、陛下は次のように述べられております。
「私はこれまで、天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」。
国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること。
そのお姿に私たちは救われ、勇気と感動をいただきました。


 
ここからは真面目なムードに😀
天皇皇后陛下の訪問で心が安らいだ・時には救われた方がいるはずです。
国民の安寧と幸せを祈ることを大切にしてきたんだということがよく分かります。
国民に寄り添い、耳を傾けてくれるし、より近くで接することのできる存在。
僕は陛下に対してそのようなイメージがあります。
恐らくですが、悪いイメージを持たれている方はいないんじゃないでしょうか?
国民に対して真っ直ぐ向き合う姿は我々としては、画面越しではありましたが、元気付けられました。
なんだか、不思議なことに「日々を頑張ろー」と思えてくるんです。

 

 

 改めて平成という時代に感謝いたします。

私たち国民に寄り添っていただける天皇皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に生を受けたことを幸せに思います。

ありがとうございました。


 
僕は平成10年生まれなのですが、このような平和な時代に生まれてこれて、改めて幸せだを感じました😁
平成は20年ほどしか生きていないですが、国民に寄り添っていらした陛下の姿は大変素晴らしかったと思います。
平成が30年も続いたことに大変感謝です。
次の令和時代もこれを受けて、更なる発展を遂げていってほしいですね。

 

 

まとめ


ここからは全体を通しての感想を。
まず、これが行われた近日の報道では「感謝の集い」の話題になると必ずと言っていいほど、北野武さんのスピーチの映像が流れました。
それほど注目されるものであったということですね。
最後は真面目に締めましたが、あそこでも笑いをとる北野武は本当に立派です笑
なかなか面白いなーと思ったので、記事にさせていただきました!
平成が終わるというのは寂しいものですねー
僕はこのままずっと続いていくものかと思っていましたから…
令和まであと数日。
時間一瞬一瞬を踏みしめていきたいものです(^ ^)

 

 

 

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